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田壮壮監督10年ぶり新作『春の惑い』
間 ふさ子(福岡中国映画会世話人)
中国の第五世代・田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督が10年ぶりに新作を発表した。かつての恋人同士が、戦後まもない江南の小さな町で、人妻とその夫の友人として再会し心を揺らす『春の惑い』。80年代に再発見された費穆(フェイ・ムー)の名作『小城之春』(48)のリメイクである。
反右派闘争から文革の時代を描いた『青い凧』(93)の発表以来沈黙を守っていた田壮壮は、世紀が改まる時にこのリメイクを思い立つ。その理由を彼は「新世紀の未来にとまどいと恐れを感じたから」だと語っている。
この言葉から、三人の男女の秘めた思いが交錯するこの静かな恋愛映画は、実は『青い凧』の時間をさらに中華人民共和国成立以前にまで巻き戻し、自分たちの歩みの基点を再確認しようとした作品だということがわかる。
戦後初期の中国では、共産党と国民党の二大勢力が争っていたと一般には理解されているが、実際はさまざまな立場の人々が、五四運動の伝統を引き継ぎ、新たな民主国家の建設を夢見ていた。特に三人の登場人物に代表される階層―南方の名家の子弟たちがそうである。だが50年代以降、世界の冷戦構造に巻き込まれ、台湾と大陸の政権はどちらも強権化し、「民主」の芽は摘み取られてしまう。
その後30年の歳月を経て、ようやく侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が戦後初期の台湾を描いた『悲情城市』(89)を発表し、それまで閉ざされてきた歴史に光をあてた。この衝撃は今も記憶に新しい。21世紀を迎え、今度は大陸の田壮壮監督が再び闇を切り開いた。
新旧二作品にはいくつかの違いがある。なかでも決定的なのは、脚本の阿城(アーチョン)の言葉の通り「1949年以降を生きた人間が撮った」ということである。内戦と混乱の4年間を経て人民が最終的に選択した「中華人民共和国」が、その後どのような道を歩んで今日に至ったのか、登場人物たちはどのような運命をたどることになるのか、それは歴史が証明している。そこには中国が振り捨ててきた何ものかがあった。彼はその時空に身を置き、そこから時代を透過して、現在の中国を捉え直そうという作業を行ったのである。
密やかな恋人たちは、しばしば「明天見」という言葉を交わす。字幕には「また明日」としか訳されないが、それは時には「もう何も言わないで」という頑なな拒否であり、時には「明日には何かが変わるかもしれない」という儚い期待であり、ある時には「このまま一緒にいられたら…」という意味を持つ、多義的な言葉である。いやむしろ、これらの思いがすべて託された一言であろう。
彼らの明日に何が待っているのか、田壮壮は知っている。だからこそ、彼らの「明天」に託す期待とあきらめを、同情と節度を持って描いてみせた。そして、今日の中国を生きる田壮壮自身は、自分たちの昨日をどのように総括し、明日につなげようとしているのだろうか。その答えはまだ示されていない。ただ一つ、現在の中国に映画の登場人物たちの衣鉢を継ぐ新たな階層が生まれつつあること、それは確かなようである。
[読売新聞2003年7月8日 夕刊]
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